たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

____あなたの言葉や哲学を守る為なら いくらでも僕を差し出そう
普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
※政治的意見や二次創作、夢創作も含みますので閲覧にはご注意ください。

『金の奴隷解放宣言』に寄せて

先日キング・コングというお笑い芸人の西野さんという方が『金の奴隷解放宣言』として自らの名義で出版した絵本を全ページ無料公開されたというニュースをネットで見ました。このニュースを見て真っ先に感じたのは、怒りではなく、「世界は変わったんだな」という気持ち。

 

 本好きを公言している僕は多くの人に「印象に残っている本は何ですか?」と訊かれます。初めて触れた本のタイトルを僕は残念ながら覚えていない。幼稚園の図書室で手に取った絵本なのか、家にあった絵本か。それとも読み聞かせで聞いた本だったかもしれない。

僕が「読んだことを覚えている一番古い本」は幼稚園の時に、誕生日プレゼントとして贈られた絵本でした。『ともだちからともだちへ』というタイトルで、カエルやら動物が出てくる絵本です。論文や研究書を読めるようになった今では、すっかり本棚の肥やしになっているけれど、それでも捨てられない本のひとつである。

 もうひとつ、印象に残っている本はライトノベルだと思う。買った当初は「ライトノベル」なんてくくりはなくて、ティーンズ(10代の子供向け)と呼ばれていたと思います。小学校5年であった僕は、珍しく日本に帰国していた父と共に地元の本屋さんに行った。父に成長を見せたかったのか、僕は漢字ばかりのタイトルの本を父にねだった。

何年か前にアニメ化もした『少年陰陽師』というシリーズの短編集。僕が覚えている限りで初めて父が買ってくれた本だった。

当然、小学五年の子供に「陰陽師」なんて言葉の意味も「内裏」なんて場所もわかるはずもないから、辞書を引きながら母に尋ねながらページを進めたのを覚えている。それでも、結局半分も読みきれなくて、全部読み終わったのは中学に入学する前だったんじゃないか。何度も何度も開いたページは黄ばんでいて、普通の文庫本なので表紙の紙はハードカバーに比べて薄く、カバーはテープでつぎはぎがされている。今では嗜好も変わり、すっかり開かなくなったこの本も今でも捨てることができない。

 毎年新しい本を買うので、半年に一回は本を整理する。その本を整理しながら、絵本に比べて決して高いとは言えない文庫本を僕は何年も「使わない」と思っていても捨てることができないのは、目の前で父がお金を支払ったのを見ていたからだと思う。父が自分のためにお金を出してくれた、子供心に「大切にしなければ」と思ったし、それ以上に嬉しかったんだと思う。「代金を支払う」ということはその本の価値を僕だけでなく、父も「認めて」くれたということだから。

対価を払うという行為は一番視覚的な「認めている(価値がある)」という指標なんだと思う。

もちろん、無料でもいい作品はいっぱいあるんですけどね。その先大事にできるものってきっと作り手にとっても、買い手にとっても「思い出」とか「これならいくら出してもいい!」って気持ちだと思う。

無料で誰でも見れることは素晴らしいことですが続けるためには「投資」がなければ続かないことは科学技術も経済も教育も一緒なんだろうな、と思いました。