たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

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普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
※政治的意見や二次創作、夢創作も含みますので閲覧にはご注意ください。

僕がハッピーエンドが嫌いな理由。

 ブログを作ったはいい物の……何を書こうか迷っているうちに、書こうと思ったことを忘れてしまいました。どうやら講義中に思いついたことでメモが残っていたので、それを参考に記事を書いていこうと思う。

 僕はおそらく普通の人よりも多くの文章を書きます。サークルや趣味やレポートで触れる機会が多いだけだろうけど。

そんな僕は二次創作(例えばフォロワーさんのカップルを借りるなど)を除いて、ハッピーエンドという物を書いたことがない。

ハッピーエンドが嫌いなのです。

 

僕の母校には「芸術鑑賞会」という行事が毎年あって、バレエや伝統芸能、劇を鑑賞したことがある。

中学3年の時、劇団四季の「美女と野獣」を鑑賞しに大井町に行った。「美女と野獣」はディズニー映画でも有名なハッピーエンドの代表格のひとつ。当時、別にハッピーエンドが嫌いではなかった僕は「学校単位の行事なんて面倒だ」程度しか思っていなかった。

この物語には「ガストン」という悪役がいて、物語終盤でガストンと野獣(アダム王子というらしいです)が屋根の上で決闘をする。結局、一時は窮地に追い込まれた野獣が盛り返し、ガストンは屋根から落ちて死亡。野獣は『愛』を知り、二人はお城で幸せに暮らしました……という流れ。僕は不思議に思った。

__本当に彼らは幸せだったんだろうか?

劇団四季の演出は素晴らしいもので、友人は目を輝かせて「感動した」という。彼女たちの感性を否定する気はない。

ただ、目の前で悪役とはいえ、人が死んでいる。それなのに、二人が幸せになれるのか?野獣は人が地面に叩きつけられる音を、叫び声を思い出さなかったというのか。

僕はハッピーエンドが嫌いです。“嫌い”という判然とした感情ではなく“納得いかない”のだと思う。

当然ハッピーエンドの小説だって読む、最近は両思いで終わる恋愛ものも多いし。でも、やはりどこか納得いかない。自分の目の前で人が死んだとき、僕なら嫌でも思い出すだろう。それを除いた物語は現実味がないと思ってしまう。こんなことを言っている僕は永遠にハッピーエンドが書けない気がする。

 

多分来年もバッドエンドばっかり書いていると思う。それもそれで、いいのかなって思っています。