たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

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普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
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恩師の影を追いかけること

※ただの愚痴です。

 今僕は、父と二人で過ごしている。父は先月日本に帰国したばかりだけれど、大学も折り返し地点となれば。必然的に話題は進路のことになる。高校に入学した頃は「進路なんてそんな細かく決まらんよ!」と思っていたけれど……あの頃は漠然と『大学進学したい』という“漠然”から始めることができたわけで。

ただ、大学生ともなると以降院に行くにしても、就職するにして将来のビジョンを作らなければいけない。当然だけど。

 

僕は大学で歴史とそれから教育について少し齧っている。

「教育を勉強しています!」と明言しないのはあくまで僕の本業(?)は今の所歴史研究であって、また大学の教職授業なんて一色ずつ決まった色を塗れば完成する塗り絵(=教員免許)をしているだけであって、僕はプロでもなんでもないからだ。

僕、一応史学科なので……

正直、スタートラインにすら立っていない。

そんな会話の中で父に「別にT先生(恩師)の真似をする必要はないぞ」と言われた話。

 

 中高時代の僕は、ひどく子供だった。(今でも大人であると自信が持てない)

僕は中学一年生で友達作りに失敗した。正確に言えば、最初は仲の良かった友達が「ある日突然敵になっていた」。地元から遠く離れた学校で、初めてできた友人に「あなたは友達じゃないから話しかけないで」と言われる瞬間を想像してみてほしい。想像できない人は「ああ自分って友達に恵まれたなぁ」ってご友人に感謝してください。

当然、彼女たちなりに理由はあっただろうし、僕ももう怒っていないし恨んでもいない。

ただ、その時、確かに僕の中で多分何かが壊れた。

そして僕は「自殺」を決意した。

今のご時世、どこでも死ねるわけだから。必要なのは僕の意思だけだったと思う。

遺書まで書いたんですよ。懐かしい。

 

結局、今この文章を書いていることからわかる通り、僕は死ななかった。僕が死ななかった理由は「勇気がなかった」からでもあるし、同時に当時教科で連絡係をしていた非常勤の恩師(以下:先生と記す)に出会ってしまったからでもある。

こういうのを意志薄弱っていうのかな……

 僕が「死にたい」とつぶやいたとき、先生は「死んで逃げたって何も変わらない。どうせなら生きて、見返してやれ」といった。

大事だったのは言葉そのものというより、先生の行動で。とにかく僕はそれ以来、先生と関わることで生きて来た。それによって、僕は「同世代の子供」と関わるはずだった6年を「大人」とだけ関わることになった。

 教師の仕事の一つに「教育相談」というものがあるらしい。要するに「ちょっと様子がおかしい子」に対して教師が面談や個別対応を通じて問題を改善すること。

きっと、先生にとっての行動は「教育相談」だったんだろうな、と教職を勉強する今では思う訳です。ただ、自分で言うのも変な話ではあるけれど。僕への介入は明らかな失敗だった訳です。

と言うのも「学校」って人と関わる場所なわけで。教師としての最終目標は「人との関わりをつなぐこと」にあるはずなんです。でも、僕らは、多分きっと、近づき過ぎたんだと思います。

僕にとっての先生は「神」で「それ以外」は「いらない」存在。僕は「先生」だけがいてくれれば満足でした。

先生にとっても僕に価値があるように、僕はずっと先生を「肯定」し続けました。

先生はどう思っていたのか知りませんが。

 僕はそんな中高時代を過ごした。もともと、僕は教師になんかなるつもりがなくて。それでも教職を目指すことにしたのはやっぱり先生の言葉でした。

先生「人間って例え夫婦でも、相手を完全には理解できないよ」

当時、先生は僕を理解してくれていると思っていて、そして僕も先生を理解していると思っていて。だからこそ、僕は「そんなことない!」って言ったんだと思います。

その言葉を否定するために、僕は「先生と同じ」道を選びました。

そういう意味で、多分僕は先生に“囚われて”そして影を“追いかけて”生きているんだと思います。先生と「同じ」であること=僕の喜び、でもあるから。

 でも最近思ったんです。先生のこの言葉って「正しい」んですよ。

だって夫婦とはいえ、他人で「完全な理解」って最初から無理な話なんです。だったら「ほどほどで生きればいいじゃん〜」なんて言えたら、良かったんですけど。

多分人って「理解しあう」ことを他のどの生物よりも望む生き物だと思います。

だから、違う意味で僕は先生を「否定」しなければいけません。「僕は例え、たとえ全てを理解できないとしても、それでも先生を知りたい」のだと伝えなければいけません。それが先生を「肯定」するだけで、向き合ってこなかった僕が、恩に報いる方法だと思うからです。

僕は先生のために教師を目指します。先生の見る「世界」、それは今の僕とはずっと違うはずです。僕が今ここで、どれだけ理想を語ったところで「証拠」がなければ先生に向き合ったことにはなりません。

これは僕という人間が「先生」から独立するための戦いでもあると思うのです。

でもそれは「先生とは違う」道を選ぶということです。先生が歩いてきた人生の結果今の考えがあるわけですから……それを否定するためには「全く別の」道を歩かなければいけません。

僕はもうとっくに、それを理解しているのです。

 僕はいつも先生と同じ、非常勤講師になりたいと語るのです。(これが冒頭の父の言葉につながる)

それは、勿論能力的な問題や性格的な問題もあるけれど……

でも一番は僕がやりたいことは、教育を通して「歴史に向き合ってもらうこと」です。

個性を重視する社会で“自分自身”というのは不可欠な存在のはずですが、学校は“自分自身”の見つけ方を教えてはくれないのです。

じゃあ個性ってなんだよ。他と違う“自分”あっての個性でしょう。

教師である以上、社会の構成員である以上「決まり」を守らなければいけません。これだけの理想を語ったところで、僕は指導要領を守らなければいけないし、学校の方針を曲げることはできないのです。

僕は現行法の中で「向き合う方法」そして「そのための授業」をしなければいけません。

常勤の教師に運良くなったとして、僕は授業にそれだけの力を割けないと思うのです。

 

「お前それは無責任だろ〜」と言われることは覚悟のうちです。(というかむしろそう言って欲しい)それでも僕は、そうやって向き合うことを「選び」ました。

常勤の先生方とは違う場面で教育に携わりたいのです。

勿論、経済的な問題も出てくるでしょう。でも、少しでも恵まれた給料をもらえる対価として「こんなんじゃない」という思いを持ってしまったら……僕は続かないと思うのです。勿論、プロとして仕事するわけですから「給料が安くてもやりがいがあればいい」なんていいませんが。「給料」と「理念」を秤にかけた時、僕は「理念」を取るというだけの話です。

そもそも何か理念がなければ院に行こうとなんてしない。

 先生は確かに、今でも大事な人です。先生が「頑張れよ」って言ってくれたら、僕は「もっと頑張らなくちゃ」と思えます。最近は「頑張れ」と言ってくれる人が減りました。

みんな「無理しないでね」と言うのです。優しいですよね。

でも僕はすっごく頑張った時には「(この調子で)頑張って」って言って欲しいです。認めてもらえた気がするから。

※当然、そうでない人もいる。

先生は僕にとって、多分原点です。迷った時に戻る場所。

きっと昔の僕は先生と同じであるために同じ道を歩いたと思います。でも今の僕は、先生とは一緒に見えて、一本違う路地を歩いています。「目に見える」ゴールは一緒(=教師という職)ですから、同じに見えると思いますし、時には道が交わる時もあると思うのです。

 

 

お父さん。いろいろなことがあったけど。

ただ「肯定」するだけでは「相手に向き合う」ことはできない。

ただ「尊敬」するだけでは「相手に追いつく」ことはできない。
ただ「憧れる」だけでは「距離は埋まらない」

これが僕が先生と過ごした6年で学んだ、痛感した、最大の成果です。