“僕”のなかにあるもの。
※ただの愚痴です。
昨日、サークルの数人を夜ご飯を食べた。僕は、外食というものに縁があまりないので「天丼」という食べ物を人生で初めて食しました。炭水化物(ご飯)とてんぷらの油で二重にHPが削られます……年を取ったのかもしれません……。
その場で久しぶりに同期の東出くん(仮名)と一緒になりました。半年以上ぶりです。
「乙女ゲーの攻略対象にいそう」とか「たらし(黒山先輩談)」とか散々な心象を抱かれてる彼ですが、これでも僕より年上のお兄さんです。 ※同期です。
さて、そんな東出くんに「烏羽さんって愛されてこなかったんだね」と言われた話です。
主観と客観の差はさておき(僕には客観的な判定ができないから)、僕は愛されてこなかったわけではない。
両親は僕に暴力を振るわないし、父は尊敬できる人である、毎日ご飯も食べられて、不自由な生活をしているわけではない。両親に限った話ではなく、友人も教師も祖父母も僕を「愛して」くれているのだと思う。
だから僕は誰かに「愛して欲しい」と思ったことはない。
大学に入ってから知ったことではあるけれど、世の中では“愛情=理解”であるらしい。
基本的に、僕は他者に僕への理解を求めないようにしている。僕は、他人が理解できないから。
理解できる人間は僕を理解できる範囲で理解すればいいし、できないのなら、それでもいいと思っている。結局「自分以外=他人」なのだから。
そして、僕はひどく諦めが早い。(同期の言葉で語るなら「他人への興味がない」)
僕の根底ある「自分以外=他人」という考えは僕の人生の中で得たものだと思っている。
この考えも、他の経験も、実際にその立場に立たなければわからないことが一杯ある。それを、僕は他者の持つ言葉で言語化できない。
世の中は言葉になっていないものを理解してもらえるほど優しくはない。それを痛いほど「知っている」。
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東出くんは僕を「考えすぎだよ。もっと楽に生きなよ。もっと周りを頼りなよ」と笑う(バカにしているわけではないだろう)けれど、そもそも僕には「頼り方がわからない」のだ。
(彼が奢ってくれたアイスクリームを食べるタイミングもわからないくらいだ……)
でもこの卑下(東出くん談)は「かわいそうだから助けてあげなきゃ」と思って欲しいわけではない。単純に、努力をしない自分への価値を認められないだけ。結局、僕は自分への自己評価が相対的に見て低いのだと思う。
言い古された言葉ではあるけれど、兎角此の世は生きづらい、思ってしまいます。 (苦笑)