たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

____あなたの言葉や哲学を守る為なら いくらでも僕を差し出そう
普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
※政治的意見や二次創作、夢創作も含みますので閲覧にはご注意ください。

先輩+僕+後輩

2ヶ月あった大学の春休みも何時の間にか、終わりがもうすぐそこにあります。文学的な表現をすると「終わりの始まりの始まり」と言った気分です……4月に向けて、我が弱小文芸サークルでも、新歓の準備が始まりました。成り行きで一番やる気がない僕が会長になってしまった、このサークルがやっていけるのか。非常に心配です、というか心配しか思い当たらない。

え?原稿……?知らない子ですね…………

 

 それはさておき。春なので、先輩(という僕)と後輩について話すことにします。

僕の母校は中高一貫校だったので、6年間先輩と後輩と関わってきました。とは言っても、6年のうち中2〜高1にかけての2年半くらいは帰宅部だったので、あまり部活の先輩と関わった記憶はありません。体感では「気づいたら後輩が、いた。」くらいの感覚です。

そんな適当な僕は高校時代は文芸部(在学中は同好会だった)とアニメーション部(=漫研)を兼部していました。

漫画のイラストなんて入部時点では一枚も描いたことのない初心者だったんですけどね……友人Aと友人Bに「人数が足りないので入ってくれ」と頼まれて入部しました。僕が入部した瞬間逃げ出した友人Aの後釜として会計職をこなし、結局大学入試の前月まで部活に参加していました。顧問には僕に海よりも深く、山よりも高く感謝して欲しいです。

 「部活ってなんのためにしているんだろう?」僕は中学生活をそんな風に思いながら過ごしたのを覚えています。

特に仲の良い子がいるわけでも、好きな先輩がいるわけでもない部活動の一時間。そのたったの一時間すら、僕は別の教室に逃げ出してしまうほど。僕は部活という時間が大嫌いな中学生でした……

帰宅部から一転、部活に入った時に僕は高1。部活では必然的に後輩がいました。けれど、僕は「先輩の見本」がいません。自分が「後輩」としていることのできる時間を、僕は自分の世界に引きこもって生きていきたのだから当然です。

結局僕は部活の意義を「礼儀を知る」というところに収めました。後輩だけではなくて、自分自身も。

 それでも僕が後輩に厳しく教えたのは「挨拶をすること」だけです。「⚪︎⚪︎高校の××部では挨拶も教えてもらえない」って将来いわれてしまったら。この部活を選んで入部してくれた後輩たちの選択は全部否定されちゃうじゃないですか。

高校生活は一度きりなので、後輩には自分の選択を恥じたりしないでほしいです。

だけど僕は“先生”ではないので……後輩たちにあれやこれやという資格はないと思っています。むしろ、僕だって後輩から色々教わる側ですし。

 

 僕が後輩と過ごした3年の間で、僕がどれだけ後輩の「プラス」になったのかはわかりません。僕が後輩の「憧れ」であったかどうかもわかりません。僕は、別にどうだっていいと思っているから。

僕よりずっと好きな先輩が後輩にいたって、僕のことが実は嫌いだって後輩がいたって、僕は後輩みんなが好きです。その子たちの「悪い部分」は「悪い」、「いい部分」は「誇れ」と伝えてきたつもりだから。あとは後輩がどう生きようと、どう直そうと僕につべこべ言う権利はないのです。

 「親がなくとも子は育つ」ではないですけど、「先輩が手をかけずとも後輩は育つ」というのは最近本当に実感していて。出会ったころ新入生だった後輩が、中学を卒業したり、「数Ⅱわからない!!」って呟いているのを見ると嬉しくなります。

きっと、本人たちは自覚がないと思うけれど。僕は本当に後輩たちに助けられて母校を卒業をしました。後輩たちの笑顔や「先輩」って呼びかけに相応しくあれるように、みんなが心から「先輩」って思ってくれるように。

そう思ったからこそ、頑張れたと思います。

僕は後輩たちの数年先を常に歩いているだけだけど、つまずいた時や苦しい時にはいつだって僕の顔が浮かんだら声をかけてください。僕がみんなにもらったものを返せるチャンスはそんな時くらいしかありませんから。

 大学に入って、色々な人がいる環境で。今度はどんな後輩にどんなことを教えてもらえるのか楽しみです。

……その前に、新入生が入部してくれるかどうかが最難関な気もしますが!!