たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

____あなたの言葉や哲学を守る為なら いくらでも僕を差し出そう
普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
※政治的意見や二次創作、夢創作も含みますので閲覧にはご注意ください。

広島と原爆と平和の話

 大学の春休みを利用して「そうだ、免許を取ろう」と思い立った僕は広島の街にきています。そういえば人生で初・冬の広島。

広島に来て、TVで『原爆資料館の入館者数が過去最多見込み』というニュースを見ました。オバマ前大統領が広島を訪れたことや彼の折った折り鶴の公開もあって、外国人の入館者も増えているらしい。

 

 僕は修学旅行で中学3年の時にお邪魔した覚えがある。そして、その翌年から蝋人形の展示がなくなったそうだ。ボランティアで説明してくれていたおじいさんがひどく嘆いていたことが忘れられないでいる。

今のオバマ大統領の世代の子どもたちは、原爆資料館の蝋人形を知らないのだ。

 「広島」と聞くと「平和の街」というイメージが強いけれど、祖母に聞くと、平和に対する考えが普及したのは僕らの両親(現50〜40代)世代からのことらしい。祖母は70を超える世代だから、終戦直後に普通教育を受けた世代。そんな祖母は小学校6年のとき、修学旅行で原爆ドームと資料館を見学したそう。講義場で戦争体験者の講演を聞き、当時の写真を見たという。祖母はその写真を子どもながらに「気味が悪い」と思ったのだと言っていた。

祖母は血やら内臓やらの映画も顔を顰めるくらいだから、本人の中で苦手なものなんだということもあると思う。母は、毎年終戦記念日の近くに放送される戦争を題材にしたドラマを尻目に「気味が悪い」ということはない。(母は『バイオハザード』とかも普通に見る)

 僕は、祖母の感覚が非常識で母が正しいとは言わない。

多分、教育によるものなんだと思う。今の子どもが小学校で『戦争は悪い!!核兵器はいけない!!』と習う。誰だって、「戦争が好き」という人はいない。男子はアドルフ・ヒトラーとか軍隊ごっことか好きだったけれど、自ら志願して、命をかけて、敵の命を奪ったりしたい人はいなかったと思う。僕も戦争が起こってほしいとは思わないけど……

 なんとなく「ああ、教育ってすごいな……」って思った瞬間で、世代による格差って面白いなって思った瞬間だった。

 

 今年は原爆ドームではなく、反対側の広島城に行った。僕は高所恐怖症なので、天守閣は上らなかったけど、爆心地から910m離れて被曝した“被曝樹木”という名所(?)があった。

本当に見た目は普通の木と変わらないのだけど、多くの外国人が写真を撮っていた。

重要なのは「見た目が同じ」であることじゃない。戦後70年以上経って、被曝した樹が今も生きているということ。その樹が「戦争の世界と戦後の世界を見てきた」ということ。多分そこに日本人は価値を見出している。

正直な感想としてはせめて広島城来たんだから城見てほしいと思ったけど。

日本に興味を持ってくれた人には色々な考えがあるだろう。もしもその人が別の誰かと衝突した時に、「やっぱり戦争はだめなんだ」って思い出せることが本当の「平和」なのかな、なんてそんなことを僕は思っている。僕の周りや自分の行いを省みる限り、実現はまだまだ遠そうだ……