たんぽぽとつぎはぎの怪物

気ままに、好きなことを語るブログ。

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普通の文系衣女子が日々徒然と考えたことやゲームの感想などについてなんとなく語ります
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なぜ、歴史を勉強するのか?

蒲公英の花が少しずつ減って、色が黄色から薄紅色に変わる季節ですね。今季の授業で、教職科目の「日本史」という科目を履修することにしました。その授業の中で、考えたことを今日は少し書いておこうと思います。

 

僕は縁あって、史学科というところで歴史を勉強しているけれど。出会う人によく聞かれる質問が二つ。

  • なんで歴史を勉強するんですか?
  • “過去”は変えられないのに、歴史になんの意味があるのか?

 史学科なんて、趣味の墓場(大抵はゲームだったりアニメだったりから歴史を知って拗らせた人が集まるところ)なので、学ぶ理由を簡潔に5秒以内に答えるとしたら『歴史が好きだから』なんですけど……世の中のマジョリティーには理解し難い感覚らしい。

友人曰く「度し難い」とか。

まあ、歴史って学んだところでお金になりませんからね……理系の学問と違って、歴史史料を発見しても技術は発展しませんし、GDPも増えませんから。僕の母は「歴史」という科目が学生時代とても嫌いだったそうで。そんな母を納得させるためには『自分なりの歴史を学ぶ理由』が必要でした。大学の学費だって、馬鹿にできない額ですし、大学で身につける知識=社会で仕事として使う可能性が高い、わけで。結局、“好き”は大きな推進力ではあるけれど、“好き”なだけでは生きていけない、ということだと思います。

 僕が出した答え(理由)は、『溢れた歴史の一滴を知るため』でした。(もともと、新選組が好きだったこともあったけれど……)

 中高で飽きるほど読んだ教科書の歴史。大きく間違っているわけではないけれど、そこには一方的な理屈しかありません。いわゆる、勝者の歴史というもの。僕は、そんな理由で歴史の門をくぐりました。

史学科に入って、思ったことがある。

それは、自分がいかに『傲慢』であったかということ。

歴史は、僕が「知る」ものではありませんでした。誰かに「伝える」ものだったんです。

 

 Q:なぜ、歴史を勉強するのか             A:誰かに歴史を繋いでもらうため。

 米国にトランプ政権が確立した時、ニュースで日本に来ているドイツ人が彼をどう思っているのか、インタビューに答えていた。テレビとしては、ドイツ人=トランプ嫌いを訴えていたのだろうけど……

インタビューを受けたドイツ人の女性は「ドイツではみんなが学校でナチスの勉強をする。ドイツがかつて犯した罪をもう二度と繰り返さないために、私たちは知らなくてはいけない」と言っていました。言わずもがな、ドイツにとって戦時中のユダヤ人迫害は負の遺産なわけです。でも、それをドイツ人たちは「歴史」として受け入れている。日本にはない感覚でした。

太平洋戦争中に起こった「デスマーチ・オブ・バターン(バターン死の行進)」という事件は、戦後の軍事裁判で大きく罪が問われたものの一つでした。でも、僕らは。この歴史から罪悪感とかそういった意識を感じる人は少ないのです。責めるつもりはありません。僕にとっても、遠い絵空事ですから。

 日本の中高生は日本史を一度は勉強しているはず。でも、僕らのような奇異な存在は除いて、人々にとってはまだまだ「遠い」出来事です。グローバル化なんてものが進む中で、僕らは「日本人である」というアイデンティティ(目に見えない証明みたいなもの)を示さなくてはいけなくなると思う。日本人の考え方、宗教観、価値観を知らなくちゃ、外国のことなんてわからないんですよ。

いつだって、理解のとっかかりは「違い」なんだと思います。

 Q:歴史という“過去”は変わらないのか?      A:割と簡単に一部については変わります。

 最近の教科書は「いいくにつくろう(1192)鎌倉幕府」ではないそうです。そして、また歴史とか文学とか。そういう世界はその時代の誰かの手紙一枚の発見で70年の通説がひっくり返ることもあり得る世界です。そういう意味で、歴史は“過去”であっても、変わっていくものです。人生という過去の変更はタイムマシーンが発明されるか、世界線1%を越えないと無理だと思いますが。

というか、僕は変わっていく過程こそが“歴史”なんだと思います。

マリーアントワネットが悪女として有名でも、今の研究では見直されているとか。豊臣秀頼(秀吉のボンクラ息子)が本当はそこそこ頭の切れる人だったとか。そうやって、見直されて、変わっていく過程もまた“歴史”なんだと思っています。

要するに、歴史は「認識の変化」が生み出すものだと思っていて。江戸時代の風習と鎌倉時代の風習が、同じ武士政権でも全く違うように。平成の世界と昭和の世界と未来の世界の認識はまったく違うものだと思います。その変化のなかで、僕らはいつだって「今」を知るための比較材料として「歴史」という過去を求め続けていくのだと思うのです。

 そういう意味で、NHKの『歴史秘話ヒストリア』の「歴史、それは絶え間なく流れる大きな河。その中のキラキラした一滴(ひとしずく)を秘話と呼びます」って冒頭のナレーションはよくできているなと思っています。